お初天神、曽根崎あたり [街歩き・旅(関西)]
「悪夢のエレベーター」が終わってから少し時間が余ったのでぶらぶらと曽根崎のお初天神まで歩いてみました。
シアター・ドラマシティからだとほぼ1本道。曽根崎警察から御堂筋を南へ、梅新交差点の手前です。
結婚するまでお初天神の境内が見下ろせるビルで働いていたので昔の記憶をたどりながらの散歩です。
新しいビルもできているけれどOSホテルや特徴のある足立宝石店の建物は当時のままなのが懐かしい。
お初天神は正式名称は「露天神社」といい創建から1300年を数える歴史ある神社です。
曽根崎という場所柄、周囲をビルや飲食店に囲まれていますが、お参りする人の姿も少なくはありません。
元禄の時代に境内の森で起きた遊女お初と手代徳兵衛の心中事件を題材に近松門左衛門が書いた
「曽根崎心中」が評判になり、以後「お初天神」と呼ばれるようになりました。
境内にはお初と徳兵衛の像も建っています。
第二次大戦の空襲で社殿が焼失したため、現在のものは昭和32年に再建されたものだそうです。
境内には爆撃による銃弾の跡がそのまま残されています。
国道1号線と神社の間にあるビルが新しくなっていましたが、おもしろいことにビルの真ん中を参道の
ようにくりぬいてあります。以前は見えなかった神社の入口がはっきり見えます。 ちょっと粋なはからいです。
境内の周囲には今も飲食店をはじめとするさまざまな店が「ゴチャッ」とした感じで並んでいるのですが
記憶を頼りに探してみたらありました 「瓢亭」
名物「夕霧そば」
鶏卵をといた濃い目のつゆでいただきますがゆずの香りが立ちのぼり、お蕎麦はコシがあっておいしい。
店内の雰囲気が記憶の中のものと違うような気がして訊ねてみると、場所も建物の向きも変わっていない
けれど以前厨房だった場所を客席として広げましたとのことでした。
とても落ち着く店内です。
瓢亭を出て境内を西に突っ切ると「曽根崎お初天神通り」と書かれたアーケードが見えます。
昔は「曽根崎センター街」と呼んでいたような気がするのだけれど…
ここから梅田花月あたりまでずっと商店街が続きます。
うなぎの「大巳」はなくなっていたけれど公設市場がまだ残っていたのは驚き(今は公設とは言わないのかも)
商店街の中にあった曽根崎小学校が「大阪市立北小学校」に名称変更していたこと(その後廃校になったらしい)
変わったものも変わらないものもありますが、大阪らしいパワーが今も感じられる商店街でした。